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Les-amants-du-Flore 映画「サルトルとボーヴォワール 哲学と愛」

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1924. Simone de Beauvoir, une jeune fille brillante et réservée, prépare l’agrégation de philosophie. Mais sous ses airs de jeune fille rangée, elle cache en réalité un tempérament singulier que seul Jean-Paul Sartre, un étudiant aussi doué que rebelle, parvient à deviner. Sartre, qui s’inspire de sa vie pour construire sa philosophie, va faire connaître à Simone son premier amour et l’entraîner dans une vie aussi riche que dissolue. Simone de Beauvoir n’en sortira pas indemne. Elle décide de sacrifier l’amour conventionnel au profit de l’édification de son œuvre. C’est ainsi qu’elle trouvera l’inspiration pour son œuvre majeure, Le Deuxième Sexe...
http://fr.wikipedia.org/wiki/Les_Amants_du_Flore

1924年、優れてはいるが内気な若い女性は哲学の学士号の試験を控えていた。控えめに見えるシモーヌ・ド・ボーヴォアールの中に、多感で才気あふれる青年は才能を感じて彼女が自分の能力を十分に発揮することを求める。彼女にとっては予想外のことであった。この青年、ジャン・ポール・サルトルは、彼の内なる閃きの中に独自の哲学を探していた。彼は、彼女の最初の恋人となり、破天荒な生活を共にする中で彼女の中に大きく影響を及ぼして行くことになる。彼女の著作である「第二の性」は、自らの経験を通して綴られたものである。映画は、サルトル=ボーヴォアールの伝説は、彼女の“アメリカの恋人”との愛の犠牲から始まる。

Les-amants-du-FloreReview2.jpg 全編通して大写しの、シモーヌ・ド・ボーヴォワールを演じる女優である魅力的なアナ・ムグラリスのプロモーション映画のようにも思えて来る。だからと言って、嫌みを言っているわけではなく、等しく、シモーヌ・ド・ボーヴォワールを讃えた、女性映画である。カメラはモード雑誌の切り抜きのようである。ボーヴォワールが両親に大学での生活が順調であることを告げるのだが、冷ややかな父親の態度に反発して家を出た後、アパルトメントの庭でスカートを翻しバレーダンサー因しく踊る姿を俯瞰でとらえた画面は男性映画には無い場面である。この父親の”冷ややかな態度”とは、こういう言葉からであった。”お前は男のように頭がいい。醜いお前は嫁に行く必要は無いというわけだ。”ボーヴォワールは、滑るように階段を降りてわが家を立ち去る。母親は、夫に語りかけていた。”娘にあまり傷つけるようなことを言わなくても。”夫は言う”お前は黙って裁縫をしていればいいんだ。後に、娘と和解し理解し合う父親は、自分の葬儀には司祭を呼ぶなと言う。病んで老いてしまった父親は全てに於いて鬱屈した不信感を世の中に抱いていたのである。この後、約束された救いの手に抱きすくめられるかのようにジャン=ポール・サルトルに出会うことになる。父親は、むしろ、この出会いに安堵の情を浮かべていたかも知れない。
この映画は、もともとフランスのテレビ局のドラマとしてサルトル生誕100年を記念してつくられたものである。多少のフランス文学をかじっていれば楽しめるのではなかろうか。
アンドレ・ジッド、マルロー、ハイデッガー、メルロー=ポンティ、役者が演じるポール・ニザン、カミュ、モーリャックは、知っているひとも多いだろう。シモーヌ・ド・ボーヴォワールと恋仲になる”アメリカの恋人”オルグレンは、米国俳優フランク・シナトラの映画「黄金の腕をもつ男」の原作者として覚えているかも知れない。
ジャン=ポール・サルトルは、どちらかと言えば、やんちゃなボクシング好きの気のいい青年として描かれている。何故か。不良は、女の子にもてるという通俗のドラマ神話からだろう。サルトルがしつこくボーヴォワールにつきまとう。いっしょに勉強しようと言う。プロローグに軽いラブストーリーの体裁をとることで、この映画は“お茶の間”の観客に媚を売っているのである。しかし、この妙味は悪くない。
サルトルではなくシモーヌ・ド・ボーヴォワールが、この映画では主役であるということくらいは分かっただろう。製作陣は、魅力的なアナ・ムグラリスが主役でなければ、映画は、プロデュースはできないとでも思っただろうか。劇中のサルトルも言う。“ねえ、君。美人でインテリの君。いっしょに受験勉強しないか。”世の中は、うまくできている。男の目としては、ちびで変な奴と言われる映画の中のサルトルは魅力的であるし、頼りがいのあるいい奴である。
サルトルについては、二十代に読んだ小説「自由への道」が印象的である。哲学書は歯が立たない。そう思ってもいただろう。三巻とも分厚い。夏休みに畳の上に寝転んで読んだ。時々、眠ってしまいページが分からなくなった。今思えば、恥ずかしい。何一つとしてこの本を読む必然性の無い糞青臭い若造に分かるはずもない。ただ、マチュウという主人公の“どっちつかず”の現実のどうしようもなさが、匂いとして共感をもっていたのだろう。俺も潮時かとマチュウは窓を開けあくびをする。青春は終ったのである。後は、戦地に於いて糞野郎どもに一発、一発、弾丸を放つのである。※
何かと恋愛沙汰が目立ってしまう、この映画だが、親友のニザンの戦死を悼む場面は、他とは扱いが違って見えた。そこに理屈はないからである。ただ悲しむサルトルをボーヴォワールがなぐさめる。※
若く、激烈なニザン、激烈な死に打倒されたニザンは、隊列からぬけ出して、わが青年たちに青春について語ることができるのだ。「ぼくは二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどと、だれにも言わせない。」青年たちは、彼ら自身の声をそこに認める。ニザンはこう言うことができる。「怒りを向けよ、きみらを怒らせた者どもに。自分の悪を逃れようとするな。悪の原因をつきとめ、それを打ちこわせ。」ニザンは何でも言うことができる。※
反骨、反抗がテーマである。
映画のように、誰かしら彼のまわりで生活をしていたようだ。どの本の、どのページか忘れてしまったが、うらやましく感じて仕方がなかった記憶がある。
私生児性の特徴がもう一つある。“何一つとして私に所属したものはない。私ははじめ祖父母の家に生活した。母が再婚した後も、私は義父の家で、やはり”わが家“にいるような気がしなかった。私の欲しいものを私に与えてくれたのはいつでもほかの人たちだった”そして人の知る通り、“人生”よくいわれる“人生体験”も、この所有感を彼に与えることには同様に失敗した。一文なしのときでも、おびただしい印税をもらったときでも、サルトルはいつも本能的に(彼を知る人は誰でも進んでそれを認めている)財産共有的な考え方をやめたことがない。※
そう言えば、ボーヴォワールがサルトルと共に暮らすことになった場面で、彼女は、“割り勘”にしようと切り出すが、彼は、金の話はやめようと言う。このように、どこかの著作の、どのページかのエピソードが数々とちりばめられている伝記的な映画である。この映画は、フランス人には、どう映っただろうか。どこかの国の半公共放送の大河ドラマの青春群像を彼らが観てもよくは分からないと同じく、我々もネイティブのようには分からないだろう。分かるとすれば、常にボーヴォワールを庇うような視線を投げ掛けるサルトル。働いて稼いだ金を、父が亡くなり一人になった母親に届けるボーヴォワール。母親は、逆にボーヴォワールを労る。彼らの愛情くらいは感じることができただろう。
そして、映画の中のサルトルは、次第に保護者のような役割を見せるようになる。ルミという娘がパーティの最中、友人をナチへ売ったのは誰だと泣きながら怒る場面がある。その娘をサルトルはなぐさめ抱きしめてあげる。ボーヴォワールにオルグレンより作家としての名誉を取れ、と言うのもサルトルである。彼は父親という役割を授かったのである。これには脚本によるある意図があるだろう。
相も変わらず、我々の時代も、彼らの時代と同じく、あちらこちらでいざこざは絶えない。親友であったニザンは言う。
“一歩足を踏みはずせば、いっさいが若者をだめにしてしまうのだ。恋愛も思想も家族を失うことも、大人たちの仲間に入ることも。世の中でおのれがどんな役割を果たしているのか知るのはつらいことだ。”※

※ジャン=ポール・シャルル・エマール・サルトル(フランス語: Jean-Paul Charles Aymard Sartre, 1905年6月21日 - 1980年4月15日)はフランスの哲学者、小説家、劇作家、評論家。内縁の妻はシモーヌ・ド・ボーヴォワール。強度の斜視があり、1973年に右目を失明。1905年、パリ16区に生まれる。生後15ヶ月で、海軍将校であった父が熱病に倒れ死去したため、母方の祖父であるシャルル・シュヴァイツァー (1844 - 1935)(ノーベル賞受賞者であるアルベルト・シュバイツァーの伯父)の家に引き取られる。つまり、母アン・マリ-・シュヴァイツァー(旧姓)とアルベルト・シュバイツァーはいとこであった。シャルルはドイツ語の教授であり深い教養を持ち、サルトルの学問的探究心を刺激した。
※シモーヌ・リュシ=エルネスティーヌ=マリ=ベルトラン・ド・ボーヴォワール(Simone Lucie-Ernestine-Marie-Bertrand de Beauvoir, 1908年1月9日 - 1986年4月14日)はフランスの作家、哲学者。フランスのパリに生まれる。サルトルの事実上の妻。サルトルの実存主義に加担するとともに、フェミニズムの立場から女性の解放を求めて闘った。パリ大学に学び、1929年に生涯を通じて公私ともに影響を与えることになるサルトルと知り合う。その年のアグレガシオン(1級教員資格)(哲学)に2人とも合格(サルトルが1位、ボーヴォワールが2位)し、その後、いわゆる「契約結婚」を結んだ。このときのアグレガシオンの試験を一緒に合格した仲間にサルトルの友人ポール・ニザン(1905-1940)がいる。 人間について (新潮文庫) ボーヴォワール、 青柳 瑞穂 (文庫 - 1980/9)
※「自由への道」:第1部「分別ざかり」。1938年6月のパリ。スペインでは人民戦線政府はフランコ軍に敗退している。高校の哲学教師マチュウの関心は精神の目立である。彼は自由な立場から関係を結んでいるマルセルの妊娠を知る。非合法な中絶手術のための金策に、マチュウは疲れる。自発的な決断で目分の生涯を選ぶ機会を待っている33歳の独身男子としては,日常性の泥沼に巻き込まれて自立性を失うことに恐怖を覚えた。白系口シヤ人の教え子ボリスと、その姉でエクセントリックな少女イヴィッチとともに,ボリスの恋人で盛りをすぎた歌手ローラの出ているキャバレーへ行ったとき、マチュウは無意味にナイフを自分の手に突き立てる。第二部「猶予」、第三部「魂の中の死」。(「立体フランス文学」篠沢秀夫著、朝日出版社、1970年刊。) 自由への道 (岩波文庫)
※ポール・ニザン(Paul Nizan, 1905年2月7日 - 1940年5月23日)は、フランスの作家、哲学者。1905年2月7日、アンドル=エ=ロワール県トゥールで生まれる。1917年、名門アンリ四世校でジャン=ポール・サルトルと出会う。その後サルトルとともに高等師範学校に進んだ。
※ポール・ニザン著「アデン アラビア」1931年発表。篠田浩一郎訳、1966年晶文社刊。
※フランシス・ジャンソン著「サルトル」より。伊吹武彦訳、1957年、人文書院刊。
(同著から右下写真、1954年、スウェーデン旅行で。)
※ポール・ニザン著「アデン アラビア」1931年発表。篠田浩一郎訳、1966年晶文社刊。 ポール・ニザン著作集〈1〉アデン アラビア [単行本]

Les-amants-du-Flore 映画「サルトルとボーヴォワール 哲学と愛」
※キャスト /
シモーヌ・ド・ボーヴォワール:アナ・ムグラリス
ジャン=ポール・サルトル:ロラン・ドイチェ
※スタッフ /
監督:イラン・デュラン=コーエン
脚本:シャンタル・ドリュデール、エブリーヌ・ピジエ
エグゼクティブプロデューサー:ソフィー・ラヴァール
プロデューサー:ニコラス・トラウベ
撮影:クリストフ・グライヨ
美術:シャンタル・ジュリアーニ
音楽:グレゴワール・エッツェル
録音:フレデリック・ウルマン
照明:エリック・キュッフィーニ
編集:ユーグ・オルデュナ
衣裳デザイン:シルヴィー・ド・セゴンザック
メイク:ジョエル・ラヴォー
ヘアメイク:カトリーヌ・クラサック
制作:2006年、フランス
(c) PAMPA PRODUCTION-FUGITIVE PRODUCTIONS-MMVI

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